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支援事業

豊田講堂60周年事業「設計者:槇文彦氏が語る豊田講堂設計時の思い出」

申請代表者名  施設・環境計画推進室・室長 恒川 和久



名古屋大学を代表する歴史的建造物である豊田講堂が建設60周年を迎えるにあたり、設計者である建築家・槇文彦氏によるインタビューを通じて、設計当時のことを記録し、アーカイブすることを目的とした事業です。

コロナ禍により、対面でのインタビューは厳しく、やむを得ずオンライン形式でのインタビューとなりましたが、これをホームカミングデーで情報発信することは、全学的な見地にたって、卒業生、学生、教職員の交流の場を活用しており、全学同窓会の理念や活動方針に沿ったものとして、全学同窓会の支援を得て周年事業として実現した事業です。

インタビューは、豊田講堂内に席を構えた施設・環境計画推進室の恒川和久室長、環境学研究科の堀田典裕准教授と、槇総合計画事務所の槇氏をオンラインで繋ぐ形で行われました。

豊田講堂の設計が始まった1958年当時、槇氏は弱冠30歳でありながら、東京大学を卒業、ハーバード大学で修士課程を終えた後、ワシントン大学助教授の職にありました。また、シカゴにあるグラハム財団からのフェローシップを得て、世界の建築を1年かけて見て回る旅の準備のために日本に帰国していました。設計を担当することになった槇氏が初めて東山キャンパスを訪れ、当時の勝沼精蔵総長に現地を案内されたときのことを、こう語っています。「前方がずっと広がっていて、かすかに名古屋の市街地が見えていた。後ろの方は高台になっていまして、そちらの方もいずれデベロップされるということを聞いて、ずんぐりしたものを作るのは、よくないんじゃないか。むしろ後方に向かっても広がりがある方がいいということで、『門』という考え方が浮かびました。ですから普通の講堂と違って、両側が後ろの方に向かって開いていて、両側から真ん中の講堂部分に入っていくというアイデアがいいんではないかと思いました。このアイデアを決まるのは意外と早い時期だったんですね。」

槇氏にとって処女作となる豊田講堂が1960年に完成し、その後、槇氏は国内外で数々の優れた建築を設計し、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞するなど、日本を代表する建築家となりました。竣工から60年を経た豊田講堂は、国の登録有形文化財にも登録され、名古屋大学の宝となりましたが、現在92歳を迎えた槇氏にとっても思い出深い作品でした。本事業により、その記録を槇文彦氏の言葉とともに貴重なアーカイブとして残すことができました。

表表紙

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裏表紙

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